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2015年10月
夕刻、ひどい心臓症状を呈す。
そもそも、今日は朝から『ちょっとこれはまずいな』『今日は調子悪いな』と思っていたので、ある意味予期された出来事ではあったが。
ここずっとの心労(母親関係での対外的な処理や対応、それ以前に、介護ヘルパーさんがいなくなった時に私にドロドロとした思いを時間かまわずぶつけに来(ひどいときは私をなじり、気が違ったように激高された)、心臓と足が悪いからと言ってあるのに、心臓のことでは特に、本来十分な休養が必要な状態で、日々、良く痛みが出るから無理はできないとも言っているのに、「あれもやれ」「これもやれ」「これを探せ、すぐ探せ、今すぐやれ!」とか、また、いつだっていいようなどうでもいいことですぐ呼ぶ&すぐ来ないと叫ぶ。そうやっていちいち行くのは、私の身体にも精神にもひどく負担なのだけど、そういうのもあり、それでいて、自分の仕事のこともやらないかん、それ以前に、この家の家事一切をやってる訳やもんで、、、
そら、心臓もいっぱいいっぱいになって当然だわ( ̄  ̄ ;)。
ていうか、せっかく痛みを出さないように、岐阜にいた間ずーーっと生活に気をつけていた、これまでの努力が。。。_| ̄|○(涙)
1度痛みが出たら、ましてや、こういう大きな痛みが出ればなおさら、最低でも自分のいつもの状態に回復するまで1ヶ月以上はかかるのが心臓。だからこそ、普段からできる限り心身の安静を保って、極力痛みを出さないように気をつけていないといけないのが心臓。こうやって痛みが出てしまってからでは遅いのだ。
でも、
思わず胸をおさえ、うずくまらなくては耐えられないようなはっきりと目立った痛みが出、その状態を目の当たりにしたことで、母親も諸々冷静になってくれるようなら、はからずも痛みが出たことも無駄にはならないだろうが。。。
ともあれ、運ばれるような状態にまではいかなかったのでセーフだったけど、、、
正直、12日にこっちに来てから、心臓の状態がとみにひどくなってきている感は否めないんだよなー。。。
しばらくは母親のことからはできるだけ距離を置かせてもらい、心身の安静をはかることを優先させてもらいたいカンジ。
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12:05, Saturday, Oct 24, 2015 ¦ 固定リンク
汐留に。
とあるお仕事をいただけるか否かがかかった、お打ち合わせというか営業というか。
前日、資料に目を通し、ざっとではあってもご提案できるだけのラフデザインを用意したり、御見積を用意したりといったことをしよう!、と机に向かったのだが、介護中(基本、腰を痛めている)の母親が突如部屋に来て。。。( ̄  ̄ ;)
なんていうのか、
Aだと言っているのにCだと理解する、というか、、、
ちがうよ、Aだよと言ってもCだろうと言う。
だからCじゃなくてAなんだと言う頃には、理解しようとしなくなり、こっちもイラっとするので声が高くなると、今度は「そういう言い方をした」ことについて、わめく、きれる。
ていうか、明日の仕込みをしたいんですけど、、、頼むから静かに仕事させてくれません??、ってカンジで。
そういう中、完全意識OFFを心がけ、超短期集中決戦状態でコトをやり上げ、準備を整え、当日を迎えた訳だった。
しかし、母親のこととは別に、行くまでの午前中、別のところに急ぎで御見積を出さないかんことになったり、急いでドメインとサーバを取得せないかん話になったりして、走り回るようにして作業を終え、出発。
なんて忙しい日なんだ。。。
そんなこんなで迎えたお打ち合わせ。
結果は、、、
「◎」! (*⌒∇⌒*)♪♪
一応ウチ、法人じゃないもんで、その時点でよそ様に流れるかなあと思っていたのだけど、よかった。
今回のこのお話、普通に考えれば、石器時代でいうなら、細いヤリだけで巨大なマンモスをとらえに行くようなハナシというか、、、通常、大きな企業なら受注できるかもしれないけど、小さな個人事務所には降ってこない、有り得ないお話だと思う。
ありがたいこと。
とても良いお仕事になりそうで、ちょっと嬉しい。
なにげに、元気が出たp(^_^)q。 |
23:10, Wednesday, Oct 21, 2015 ¦ 固定リンク
10/12(月)から母親の介護の関係もあり、神奈川に来ている。
母親を病院に連れて行き、一通りの診察と検査を終え、家に連れ帰り、それから洗濯や買い物などの家事をこなし、急ぎの原稿の修正作業を終え、、、
さすがにフル回転で働き過ぎたのか、気がついたら、しばし机の前でぼーっと放心していた。。。(゜゜ )ボーッ
心臓が不規則に痛む。
極力無理せんとこ、と思うのだが、そうはいかんこの現実。……大丈夫か?、あたくし。
とある仕事で、変動しない固定のIPアドレスを持っている必要が発生し、昔使っていたプロバイダを再契約。そのプロバイダができた当時(確か1996年の1月:すごい昔だ)から10年以上使っていた、まさに使い慣れていたところなので、『じゃあ、ここでいいや』ってな具合でそこに決定。
また、プリンターを1台購入。
たぶんこれで、固定電話回線がないことを除けば、岐阜と同等の作業環境になったはず。
これからは都内への出張、打ち合わせが増える。その際は、この事務所が、重要な作業基地になるだろう。
岐阜と神奈川と。
うまく切り回していかないとね。 |
15:18, Tuesday, Oct 13, 2015 ¦ 固定リンク
岐阜では「育樹祭」期間中。市内では、通る道の要所要所に警察の方々が立っておられた。
昨日は近所のスーパー前の通りを皇太子さまの車がお通りになるとのことで、その付近の人がわらわらと集まる中、町会長らしき人が日の丸の旗を配っている光景を目にした。お通りになられる時間も含め、30分くらい通行止めになり、スーパーの駐車場出入口も封鎖になるとのことで、昨日は急いでスーパーから出てきた。
さっきも、魚を買いに行った帰りの長良川沿いの道に、昨日と同じようにたくさんの旗を抱えた人と腕章を付けた人が何ヶ所にもスタンバっていて、それぞれの場所に向けて1人また1人と集まり始めていた。
……あり(' ' )? 今日ってこのあたりをお通りになる予定だったっけ?
規制は明日まで続くらしい。 |
16:45, Sunday, Oct 11, 2015 ¦ 固定リンク
心臓が痛みを出している&息切れがあるので、あまり動き回れず、横になったりすることもありながらの、ここ3日ほど。
それでも、一番の懸案だった、大きな原稿書き。
夕方近くになってやっと集中して書き始められたと思いきや、母親の訪問診療を頼んでいるところからの電話、母親からの電話、さらに、介護を頼んでいるところからの電話などがひっきりなし。
しかも母親、きちんとこちらが説明したことでも全然理解せず、何度も最初から順を踏んで説明してもただわめく、パニくる。ならしょうがないんで、その事情に一番詳しい薬剤師さんに電話し、その人から説明してもらうなどの手配もし。
その指示出し&対応をしながらも、そういう頭とは別に、着々と原稿を打ち進める高輪。
人間の頭って、不思議。
片方ではそんなふうに、電話機を手離せない状態であれやこれやと煩雑な対応に追われながら、もう片方では手元の取材メモを読み返し、また、取材時の様子を反芻しながら画面の文字数を緻密に計算し、PC画面上で冷静に文面を構成している自分。
人間って、結構同時にあれこれできるものなんだな。
19:20頃出来上がり、デザイナーに送り、めでたしめでたし。
ともあれ、高輪の中での一番の山は越えた。
土〜日でできるだけ身体を回復させて、月曜は神奈川だ。 |
22:05, Friday, Oct 09, 2015 ¦ 固定リンク
とりあえず、昨夕の母親の状態から、すぐ神奈川に舞い戻らなくとも大丈夫っぽいとわかり(数日は岐阜にいても大丈夫そう)、心底安堵したためか、はたまた、ヘルパーさんが決まらなかった先週土曜までの間、こんな足と心臓で母親の身の回りの介護など結構な無理を重ねすぎていたところに、昨日、1日中取材と請負に走り回ったことが重なったからか、疲れがまとまって一気に出て来た。
相当心臓がキてるカンジ。昼過ぎまで体の上から何かで押しつぶされたように、全く起き上がることが出来なかった。やおら気分も悪く。。。( ̄  ̄ ;)
しかし、今日は食料の備蓄がないので、頑張って買い出しに行かないかんので、なんとか動き出す。ネットスーパーという手も考えたが、どのみち起き上がって配達員に応対する必要があるわけで、、、足が悪い時はネットスーパーでいいんだけど、心臓が悪い時はイマイチ。。。(心臓おかしいと、人と話したり応対すると血圧が変動してよけい疲れる)
まあ、今日買っておけば明日〜明後日まではなんとかなるだろうし、今日はなんとか頑張って、明日は具合を見ながら原稿書きだ。 |
14:00, Wednesday, Oct 07, 2015 ¦ 固定リンク
先週、神奈川に戻っていた。
10/1に、それまで入院していた病院から5月末にリハビリ施設に移り入所し、機能回復訓練などやって暮らしていた母親を神奈川の家に引き取った。
引き取るにあたっては、様々な葛藤があった。
現状からすれば、高輪が月のうちある程度岐阜にいる必要がある上、高輪自身に足の障害、心臓病、耳硬化症による限りなく重度に近い中度の難聴があり(しかも、いずれも進行性の病気)、とても母親の介護&介添えをすることが出来ないでいる以上、他の有料ホームなどに移すのが一番間違いがなく、1人で置いておくという心配もなくなる訳で、一般的・世間的に考えてもそれが良い方法なのではと思われた。
なのだが、
『家に帰りたい』という本人の強い希望を考慮し、介護サービスや環境整備にどれだけお金がかかろうと、高輪的に大変な思いをすることになっても、何より母親の望む通りにしてあげよう、と決断。引き取るに至った。もちろん、たとえ毎日十分に手厚い介護サービスを充実させて暮らすのになんら問題ないようにしていても、実子である高輪がつききりになれず母親1人で置いておく時間が確実にできてしまうことなどで、周囲から非難されるかも知れない可能性もわかっていてのことだ。
それは、昔、肺気腫という病気と日々闘いながら過ごしていた父が、75歳になって高齢者の運転免許更新をするかどうかということでもめた時と同じだった。
親族や母親は「もし事故でも起こされたら、どれだけの賠償がこっちに降りかかってくるかわからない。一生苦労させられることになる。家族を思うのなら、免許など取らないでくれ」と父に詰め寄ったが、高輪1人、免許の更新に賛成し、試験場に父を送り出し、結果、父は免許をゲットした。
車を運転し、車でどこかに出られることが生きがいのようなところのあった父から、運転を取り上げることくらい残酷なことはなく、本当に生きる気力をなくしてしまうと高輪は思ったのだ。仮に、万が一父が事故を起こして賠償などが発生したのなら、高輪が一生かかっても払って行こうとも決意していた。
のちに父は、『(高輪が)ああいうふうに言ってくれたことが一番嬉しかった』と言って、最期まで免許証を宝物のように大事に持っていた。
そんなこともあり、
世間一般的な見解や、家族自身の都合とか、そういうことも大事だとは思うのだけど、
本人にとっての生きがいというか、生きる希望というか、それを出来る限り大事にしてあげるべきなのでは、という考えが高輪にはあったのだ。
なので、そういう決断をした。
引き取った時点で、状態がまだ完全ではなかったため、当面動かずとも安心して食べていけるように、それもほとんど手をかけずに出せばそのまますぐ食べられるようにすべて冷蔵庫内に用意したりなどし、昨日(3日)、岐阜に戻ってきた。
いない間は毎日ケアマネージャーさんとヘルパーさんが見てくださることになっている。
だが、
施設を出るときはさほどでなかったのに、家に戻ってから、私がやるからやるなと言っているのに、どうしても自分でやらないと気が済まないと言い張り、止めるのもきかずに身の回りのことをやろうとしたことが原因と思われるが、おさまっていた腰の痛みが時間を追うごとに強烈になったらしく、施設にいた時からすれば考えられないくらい、1人で十分に動くことがままならなくなった。
とはいえ、ほとんど動く必要がないように万端整えておいてあるので、食事もとれない、トイレにも行けないというようなことは絶対にないが、月曜午後に来てくださることになっている訪問診療の医師の見立て如何では、また入院になるかも知れない(いや、たぶんなるかも)。
高輪は月曜は足の障害のいつもの検診で1日かかり、火曜日は午前午後ともに絶対に外せない重要な取材。でも、そのあとの取材予定を今月は入れないでほしい旨、某紙面の会社に要請した。ことによっては木曜あたりにまた神奈川に行くことになるやも……。
戻ってきたばかりでまた神奈川に行くのは、正直、高輪の身体がもつかという心配もあるが、おそらく、今回はこれ以上ない一大事。。。亡くなった父やじいさまが、きっと守ってくれると信じて。 |
14:13, Sunday, Oct 04, 2015 ¦ 固定リンク
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