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2015年 1月
3日夜に岐阜に戻って来てから9日まで、神奈川から戻った疲れもあまり取れないまま、いくつかの取材や他の作業などを全力疾走状態でこなしたため、やはりというかお約束通りというか、9日の晩に堰を切ったようにひどい胃腸症状を呈し、そのまま翌10日は文字通り1日倒れ込んで休んだ。一瞬明け方に目があいた時、部屋の電気が煌々とついていたところからするに、なんとかベッドまで上がってそのままパッタリ、という状態だったようだ。起き上がると、心臓がひどく痛みを発していた。
考えれば無理はない。
心臓の弁のこともあり、本来、無理をしてはいけない(むしろしっかり休んでいた方がいいような)状態であるにもかかわらず、普通に仕事に行って、取材とかもガンガン一生懸命やっちゃっているんだから、どっとくるのは必然。
(ていうか、だいたいいつも、土〜日が体調急変しやすいんだよね。疲れが一気に出るから)
やっと今日はなんとか動ける状態になり、当面の食料品の買い出しと、遅ればせながらの初詣。
長良天神に行った。
ここは昨年末、発行した紙面での『初詣特集』に載せたところで、私自身も撮影に来ている。広々として清涼な空気の心地よい、素敵なお社だ。
お参りをし、おみくじを引き、枝に結んで来た。
帰って来たら、どっと疲れが。。。やっぱまだ体力ないや。
基本、人と同じことをしても人の倍以上疲れる身体なので(つまり、何をしても心臓にかかる負担がとても大きく、それだけ全身が疲れるという訳)、、、。
入院中の母親は、なぜかこの連休に私が帰ると思い込んでいたらしく、『今日の何時頃に病院にくるのよ』と電話をしてきた、、、なんでそんな話になっているんだろう?? 年始に行った時に、「次に(関東に)戻ってくるのは月末くらいだから」って言って、母親も「そうだね、税金のこととかあるから、その頃だね」と納得していたのに、なんでそういうことになってるんだろう???
看護師さんとかに私が来るのかどうか言われたのだろうか?(謎)
ていうか、
心臓が本当に良くない状態で、1週間働ききるのも普通に元気にやってる訳ではなく、いつどうなるか実に危ない橋を渡ってる状態の高輪が、そんなに頻繁に関東に戻れるはずがないのである。頻繁に行き来出来る体力があるようなら、もっと普段の生活自体、健康に過ごせているはず。(普段の休日も、食料品を買い出しに行くのが唯一の外出)
元気な人なら、ちょくちょく戻ったり面倒みることはできるだろうけど、疲れなどから狭心症的状態を呈すこともあるこの状態で、親子共倒れってのは一番避けたいし、なにより避けなくてはいけない。
それは、向こうに行きっぱなしで毎日母親の面倒を見れば、周囲も安堵するだろうし、『良くやってるわね』ということになるだろうけど、
『親の介護のためにと、会社やこれまで命かけてきた仕事をやめて、一生懸命親を介護して、いざ、その親が亡くなってふと気がつくと、もうやっていた仕事につけない、復職できない、現役に戻れない状態になって、人生的に追い込まれてしまった』という話はあちこちで聞くし、今、それが社会問題になっているともいう。
健常な人でさえそういうことがあるのだ。
特に高輪は、自身の身体のこと、とりわけ中でも、生まれつきの一生の障害であり進行性の病状である左足と、一番のガンである心臓のことがあるから、これを抱えながらずっと1人で頑張って生きていかなくてはいけない、、、それゆえ、1から血を吐くように地道に築いてきたものを自ら失い、それを再構築する、そのリスクはとてつもなく大きい。
普通に元気な人のようにはいかないのだ。
だから、自分に出来ること、自分に向いたものを掘り下げ、それを拡げてきちんと仕事にしていく必要が有る。病気を持ちながらも、自分でしっかり食べていけるように。
また、
左足も心臓も、表面からはわからない問題。傍目にもわかるくらい足を引きずったり、倒れそうになっていれば別だろうが、日々どれだけの痛みを発していようと、苦しもうと、私の抱えるこれらの症状は、他人には決してわかることはない。
見た目が普通だから、皆と同じように普通に健常に動けるものと思い込まれ、勘違いされ、いらぬ誤解を生む。……高校3年の時にクラス中からはぶかれ、シカトされたように。
20分も歩けばてきめんに痛みが出て、それが身体の骨じゅうにギリギリと響き、どちらを向いて寝ても違和感が出て夜もまともに寝られなくなるし、日に何度もキリキリと、ぐーっと針を刺すように、あるいはどんと突かれるように、締め上げるように、そんな痛みが心臓を中心に腕や胃のあたりまで、身体にかけめぐる。
いかんせん、高輪は健常ではない。生まれつき。足のことをとっても。
だから、自分がどう生きていかなくてはいけないかを、小さい頃からずっとわかっていた気がする。
でも基本、病気があっても、『だから何なんだ』と思う。
健常では気付く事の出来ない、生きるということの楽しさや凄さを、身体を通して分かる事が出来るし、生きて行く命、生身の身体を持つ自分というものと真正面から向き合える良い機会だとずっと思っている。
実際、食べ物や生活を変えて自分の筋肉や状態に変化が出たりするのは楽しい。
ともあれ、
斯様な自分の身体と将来のことも考えつつ、
そして、わずかでも動けるだけの体力を残して、なおかつ、なんとか家のことも切り回すために、
いろいろ考えた上で、高輪はここにいる。
実際、岐阜で家の金銭関係のやりくりは全部できているし、母親の入院費の振込や、母親が払い忘れていたものすべても、こちらで全部チェックして支払いを行っているし、税金関係もこちらで進めている。
ともすれば、『なんで毎日親の面倒を見ない』『なんで岐阜にいる』と後ろ指をさされることも多々あろう。事情を知らない人ならなおさら、いろんなことを言うだろう。
でも、せわしく病院に行くことや、全部介護をすることだけが面倒をみるということではない。病気持ちの高輪には、病気持ちなりのやり方があるのだ。動き回ることはもちろん、健常者のように何もかもできないから、出来る範囲で出来るだけのことを精一杯、高輪はやっている。
そんなこんなの、今日この頃。 |
15:47, Monday, Jan 12, 2015 ¦ 固定リンク
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