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第2週最終日。
試験は紙媒体のみ「持ち込み可」。 事前に、出されそうな問題を想定して、それに対する論述という形で、いくつか文章をまとめておいた。 特に、法学史についてはかなりしっかり文章を作っていた。
基本、全て記憶して、予め書いておいたものを見ないで書けることが理想だった。 でも、内容的に深すぎる上、どこが出るか想像ができなかったので、自分の作っておいた記述をもとに、それを見ながら書いてしまうしかなかった。
でも、 書きたいことは書けたので、すっきりしている。
ただ、 「持ち込み可」という試験方法については、今回の講義に限らず、少し気になっている。
確かに、「持ち込み可」でほっとした自分があるのは確かなのだけど、『何かを見て書いていいなら、それは試験ではないんじゃないか』という気持ちはなくはない。 だったら、日々出すレポートの記述や内容、まとめ方で判断していただいて、何も試験なんかしなくても、、、(実験のスクーリングみたいに)とも思ったり。 そこが、よくわからない。 「持ち込み可」という方式があるのも、慶應に入るまで全く知らなかった。 あくまでも、講義を受けていたこと(出席)の「確認」の意味での試験なら、持ち込みも妥当なのかも知れないけど、しっかり講義を受けたこと(聴講)による「理解度」の判断としての試験なら、やはり何も見ないで挑戦するのが良いのかもしれないと高輪は思う。
「見て書いていい」、、、 それは、普段、仕事を持ちながらもあえて学ぼうとしている我々のような立場の学生において少しでも優遇できるようにと考慮された手段なのかも知れないし、少なくとも点や単位を取れる手段ではあるだろうけど、 だけど、 試験という本来の目的からすれば、正直、高輪としてはよくわからない。 何かを見て書いていいなら、試験ではないのではないだろうか。 自分の言葉でできる限り書ける範囲、何も見ないで解答欄を埋められる範囲で出来上がった答案こそ、その科目における本当の成績なのではないだろうか、と、なんだか思ってしまう今日この頃。 特に、夏スクで学ぼうとする通信生への講義は、通学生と違って、やおら短期間ながら履修範囲が「深く広く」なってしまい、試験についても到底暗記できる量でなくなり、何かを見ないと解けなくなってしまうのは仕方ないことなのかも知れない。だからこそ、見ていいという感じになるのだろうとも思う。 なら、試験範囲として妥当な領域だけを絞って、そこを集中的に出題していただくとかできないのかしら、、、なんて思ったりもする。 見て書いていい試験なんて試験じゃない気がするんだけど、考えすぎなんだろうか。
基本、AかS狙いではあるんだけど、 何かを見てではなく、極力、自分の記憶していたものを必死に記述した上でとったAかSこそが嬉しい。 そんなふうに思えている。
明日からは三田で午前、土曜日まで、「歴史(日本史)」。
スクーリングで三田に通うのは初めて。 それはそれで、楽しみでもある。 三田には、半年遅れの入学式に行っただけで(高輪は秋入学なので、翌年の4月でないと入学式に出られない)、それ以外は全く行っていない。 「山食」という学食も気になっている。 学食を楽しみたい気持ちもありながら、日吉でもそうだけど、なんとなくそうできてない。 つい、自分のペースになってしまうからだろうなー。 始業時間ぎりぎりで教室に入りたくないし、だからこそ、早くから教室に入っておいて、持参したおにぎりやゆで卵、缶コーヒーなどを体に入れながら、ゆっくり授業までを過ごしたい気持ちがあるから。
だけど、 やっぱり、学食は味わっておきたい。 外食というものも、本当に長いことしてない。 今週、機会を見つけよう。 |
20:21, Sunday, Aug 19, 2018 ¦ 固定リンク
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