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2012年5月からずっと携わって来た某紙面。今日、23日(火)で基本、「退職」する。
そういうことになったきっかけは意図せず、実に全くもって釈然としないものであり(ある意味理不尽でさえある)、断固納得しない姿勢をとることも出来たかも知れないが、最終的な結果としてそういう流れになったことは、高輪的には決して悪い話ではなかったからだ。
その話を決めた理由の一番は、高輪のこの心臓と生まれつきの障害である左足、、、 前々からも書いているように、このままでは身体が続かないだろうと思いながらの常勤だった。診断書も出しているし、心臓のことでは折に触れて状態を何度も詳しく話してもいるので、身体が悪いことを承知してくれているという頭があったのだが、あまりにも健常な人たちの中においてはそうでなく、他の人と同じように動けるものと思われ言われ、時にはこの足で心臓で到底出来ない無理を求められることが多々あり、日に日に社内の健常者との感覚の違いを思うことが多くなった。 それゆえ、いつかは自分の状態に合った働き方や生活ができること……『ただ働きに行って帰って、やっと土日に身体を休ませるだけで精一杯』という生活ではなくて、人として普通の生活、できれば『暮らすことに余裕が持てるような状態』にならないと、と思っていた。
また、 初め頃から関わってきたこの紙面の「方向性」の問題を、高輪はずっと憂慮していた。 雑誌や紙面というのは、最初に編集長(つまり、紙面における「棟梁」、舵取り)たる人がいてコンセプトや方向性を定め、その下ですべてが始まり、進んでいくものだと思うのだが、この紙面は最初から編集長がいなかったことが、最大かつ永遠の問題だと思う。 その「棟梁」たる者がいない状態でも、最初に立ち上げた『紙面のコンセプトやテーマ、方向性』を重んじて、みんなでそれに突き進めばまだこうはなるまいが、軸がしっかりはっきりしないまま進んでいるため、『この紙面で何をやりたいのか』『この紙面というのは何なのか(紙面の個性)』が、号を重ねるごとに希薄になっている……と高輪はずっと思っていた。 (註:高輪は「編集チーフ」を拝命していたが、あくまでチーフはチーフであって、すべてをどうこうできる立場ではなかったがゆえ、様々な葛藤があった) そこへきて、それぞれに思い描く「“自分の紙面”像」を持った人が集まっている感があり、それぞれがそれぞれのイメージで進もうとするがゆえに、おかしなことになる。テイスト的にはハレーション状態だろうし、方向性、方針としてもそうだ。長い間正式な「編集長」がいないために、いわば、この紙面を土壌に多数で国取り合戦を展開している……というのが、長いこと高輪の感じていたことだった。広告収入の問題も、そのへんの影響があると思う。何に向かっている紙面なのかが分からないもので、大きな広告収入は生めまい。営業は目に見えるデザイン面ばかりを指摘するが、その「形」は長い間培われている「方向性の無さ」から来ていることに気付くべきだと高輪は思う。
そのように交錯する様々なテイストや方向性の中で悩み、本来のコンセプトを心にとめ、それを違えては紙面としておかしなことになるまいか、、、逆に、イメージを刷新するなら、それに向けて新たにコンセプトをきちんと立てた上での紙面づくりをするべきではないか……と、言い続けて来た高輪が、基本、出される結果になった訳だ。 (もちろん、身体のことや、聴力の問題もあったからだろうけど) だから、いずれ何らかの形でこういう方向に流れることになるのは、時間の問題だったと思う。
もっとも、 出されるとはいっても、在宅でこれまで通り記事書きや他のライターの文面の監修は続けるので、関わりがなくなる訳では全然ないのだが、紙面としての土台づくり、全体を構成し進める立場でなくなるという点で、大きなひとつの区切りであることには違いない。
高輪にはやり残したことは、たぶんない。 だから心が晴れ晴れとすっきりしているのだろう。 ただ1つの心残りは、一番最初にこの紙面を作って出そうと思った発刊者の『想い』を、私が第一線から退くことでもう誰も継いでいくことができないであろうこと。誰に何を言われても私が一歩も譲らずにいたことで、その方向性を紙面に活かせたことはこれまで実は多々あった。混沌としていた中でも、それだけが唯一、この紙面の方向性であり軸だったと思うから。 しかし、今後はそうはなるまい。
ともあれ、在宅になることで、細々ながら守っていた事務所もやっと堂々と再起動することができる。 思えば、今月は奇しくも、高輪の事務所(Creation Studio TWO-ONE)創立10周年。 10年ひとめぐり、、、ではないが、10年のこの節目に、本来の場所に戻ることができた。 この紙面づくりに関われたのは、これからのことを鑑みても良かったと思う。 良いことも、いけないことも、失敗例も、すべて学べ、学びきれたように思う。 そう考えると、今、このようなことになったのは、丁度良い「時機」だったと言えるか。
『物事は、すべて、なるべくしてそうなっていくもの』。 そうならないものはどう頑張っても成ることはないし、 そうなっていくべきものなら、どのように抗おうと、必ずいずれ、おのずとそうなっていくものなのだ。
深呼吸して、 さて、 また、頑張っていきましょうか。 |
14:14, Tuesday, Jun 23, 2015 ¦ 固定リンク
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