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BGM:「PSYCHOPATH」/BOφWY
この日は日曜日ということで、道には行楽客とおぼしき不慣れな車がいっぱいいた。鵜飼もあと10日くらいで終わりだもんね。1回くらいまともに鵜飼を見てみたいとも思うけれど、地元にいると案外そういうのって見る機会がないものなんだよなー。 市電の時もそうだった。当時の高輪の通勤手段は自転車だったので、市電には乗った事が一度もなかった。乗ってみたいなあと思ってても、いつも見慣れていたものだし、どだい、そのへんにいくらでも走ってたし「まあ、いつか乗るだろう」と呑気に思ってるうちに廃止になってしまったという。 「行きたいと思った時が、行きどきだ。そういうときは、無理をしてでも行った方がいいんだ」 と、昔、桜通のプロバイダ時代の私の後見人(他部署の上司)が言っていた。あ〜、確かにそうかもなー、とちょっと思ったり。 船に乗らなくても(←乗船料高いし(;_;))川べりから眺めるのでもたぶん充分見れると思う……、シーズン中にちょこっと見て来ようかな。
関の某所に届いていた宅急便の荷物を受け取りに行く道すがら、なんとなく懐かしくなって聴いてみた(^_^;)>アルバム「PSYCHOPATH」/BOφWY BOφWYが流行ってたのって、確か高校の頃、だな。高輪は当時、軽音楽部にいた(←というか、学園のパンフレットに「吹奏楽部」があると書かれていたからその学園を受験したのに、入ってみたらそんなものは陰もかたちも無かった。唯一、楽器をやれるので軽音楽部に入った(^_^;))のだけど、バンドなチームはみんなBOφWYの曲ばかりやっていたので印象に残っている。「LIAR GIRL」「MARIONETTE」「PLASTIC BOMB」「季節が君だけを変える」etc... 久し振り過ぎて、聴き乍らなんだかいろんな事を思い出していた。
高校の頃は、高輪は学園の教員たちに「全共闘の再来」と言われていた(笑)。 それは……、 入学する時に言われていた事と、入学してみたら全く違うという学園の状況と、「進学校だ」と銘打っているにもかかわらず1年のうちに教科書1冊どころか半分も終わらせる事が出来ない授業への指摘を、教員に言っても逆に「そんな学校に来たお前らが悪いんだ」と言う教員がいるその状況、そう言われる学生の気持ちはどうなのよってカンジだった。勿論、知ってて入学したならそう言われてもある意味仕方ない。でも、「ここまで違うのか」というくらい違っていたら、苦情のひとつやふたつ、言いたくなって当然だ。 科目自体、パンフレットには美術と音楽があるとしながら、実際は書道しかなかったり、プールで学生が泳いでいる写真を載せていながら、実際にプールで泳いでいるのは年間通して金魚(←どこから拾って来たんだ?)のみという状況。 そこにもってきて、革靴にあいている穴の数は8個までって、何だその規則はってカンジ。個数に意味があるのか?? その他、全くもって理不尽な規則がたくさんあった。 あるとき、学園で某大手出版社主催の全国論文コンクールへの出品者を募集していた。「よし、これはいいぞ」と学生としてのあり方と学園の体制への批判を絡めて応募したところ、何と高輪のが全国5位以内に入賞してしまったのだ(笑)。 確信犯的犯行(?)だ(笑)。 入賞は学園としては誉れ。でも、内容が内容だけに、送られて来た表彰状は、本来ならそういうのは朝礼で全校の前で渡されるのが本校のならいだが、職員室でひそかに渡された。 それ以後、「頼むから、普通の事を書いてくれ。なっ?」と教員たちに言われるようになったのだった。 入賞しなかったらただの文句ってことで片付けられただろうけれど、入賞しちゃったということは、筋が通っているからこそ入賞したという事だしね。正直、ちょっとすっきりした。 そんな事もあった(^_^;)(笑)。
そんな高輪が、もし今、立場が受講生だったら…… 勿論、高校の時みたいにとがった行動は(だてに歳を重ねている訳でないので)とらないだろうけれども、それでも、どうだかなあ、、、と、ちょっと思った、とあるひとコマ。 どうなっていくやら。 |
19:00, Sunday, Oct 02, 2011 ¦ 固定リンク
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